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八朔祭


現在「八朔祭 」では 収穫前の稲を言祝ぐ「田誉め」「 田の実の祝い 」と、古くより台風が上陸する目安とされていた、立春より二百十日(にひゃくとうか)の日にあたるため、風鎮祭を行っておりますが、縁起書を紐解くと、八朔祭が初めて斎行された由来が詳しく記してあります。

「九十代 後宇多院(きゅうじゅうだい ごうだいん) 弘安六(こうあんろく) 癸未の年、(みずのとみのとし)豊前守(ぶぜんのかみ)始て 八月朔日(はちがつついたち)に大祓會(おおはらいえ)を修す。
是は 去年 異敵襲来(さるとし いてきしゅうらい)の時、測らずも神刀降伏安全をもっての報賽のため也。
八朔卯刻行幸、西南の勢原 (後に清の字に改る)頓宮路、次に行粧准 十一月卯日祭が頓宮にあり。………… 祭礼成就。」

去る年、「元寇 弘安の役 (蒙古襲来)」の時に神刀降伏安全の祈願を斎行し、その成就のお礼として弘安六年に、当時十一月の卯日祭であった「勢原神事」を八朔卯の刻(旧暦八月一日 午前五時から七時、日の出の頃)にも盛大に行ったと記録が残っております。
元寇の時には「神風=台風」により異敵を追いやった歴史がありますが、これは「風招 即ち嘯也」と伝わっている「嘯吹」の御神威でもあります。